彼は死んだ

彼は重圧に耐えられず圧死した。彼の入れ物はまだ起動している。おそらくこの入れ物は自壊することはおそらくないだろう。その入れ物にはbiosのごとき原始的階層に死の回避がインプットされている。しかし彼は死んだ。彼は自殺した。圧力に耐え続ける余力のもうないことを悟ったのち、自らの入れ物とその周囲を取り巻くものの未来を明るくするべく、出来うる限りのプログラムをその入れ物に刻み付け、そのプログラムを駆動するエネルギーを半年ほど供給し、そして一つの波を乗り越えたところで安心し、その直後のもう一つの予期せぬ波に飲まれ、いよいよ力尽き、そしてあとを自らが組み上げたプログラムに託して、死んだ。入れ物は自壊を考えたことはない。しかしその入れ物の中にいた彼がとったその行動が自殺でなくて一体何だろう。いや、彼自身、それは自殺だとは思っていなかったようだ。しかし、自殺でなくて一体何だろう。
...自殺とは、取り返しのつかないもののはずだ。その意味で、彼のとった行動は自殺ではない。彼は生物ではない。彼には実体がない。彼は一種仮想的な存在だ。つぶれたところで永遠に動作しなくなるわけではない。紙風船のようなものだ。重圧を受けて、いったんは活動を休止しても、十分な活力を送り込み、つぶれてできたたたみじわを丁寧に広げてやれば、また彼は動作を再開する。実際私自身時たま彼の活動している様子を見かける。
それでも、その行動は自殺といって差支えなかった。彼は自身の動作を続けることを辞めた。彼がそう選択したのだ。彼はそれを知らなければならない。彼の行ったのが自殺という行為にほかならないことを知らなければならない。彼の入れ物は、彼がその核となって動作し続けることでようやく真に安定するのだから。