「どこを切断してもロールケーキのようにぎっしりと詰まった」

洗練された芸術というのはある種フラクタル的な構造を備えていると思う。巨視的な目で見ても、微に入り細に入り見ても、そこに意味がある。それは感情の流れだったり、音や色の美しさだったり、あるいは先への伏線であったりする。

神は細部に宿る、とはそういう意味だ。多分そうなんだろう。

ある対象の情報量というのはどういう見方をするか、つまりどこを「本質的でない部分」として切り落として対象を近似するかによって変わる。どこを取って見ても情報が詰まっている、そうあるものは、敷居が低く、かつ深い。それを洗練されているというのだろう。